ランド屋太郎

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6年目のナガ族/新年祭 (1)


ラヘ-のレノン・ナガ族の家

今年もナガ族の新年祭に行って来た。
今年は開催場所が昨年のレイシからラヘ-に移り、主催も軍諜報部が経営していたフェニックス・トラベルから観光省に移り、実際の国内線、車、宿泊設備などの手配はダイアモンド・パレスと言う会社が行っていた。

昨年のレイシでの新年祭はナガ族の踊り手が80名ほどで観光客が外国人だけで160名以上という情けない状況で、ナガ族の人達も真贋入り乱れたナガ族の民芸品を売るお土産屋やナガ族の料理を出すレストランなどを出店していた。

昨年の状況がどうも外国人には不評だったようで昨年見られた各国の旅行会社から送客された団体観光客は今年は皆無で、
それだけでなく海外の旅行会社からの送客がF.I.T(簡単に言うと団体客でない少人数の客)
だけでほとんどが客が自分でミャンマーのオペレーターに申し込んだようだった。

これがどう言う事かと言うと、海外の旅行会社がカタログ等でミャンマーのナガ族の新年祭を載せても集客に結びつかなかったか、それともカタログに載せなかった?という事です。

何故?

客に見せるほどのもんじゃないから? 又は、政府に高い金を払って(御一人様 US$375)、
更に高いチャーターの国内線の料金を払ったら客が集まらないと言う判断が客を集める海外の旅行会社にあったからでしょう。

太郎の会社は毎年ナガ族の新年祭は一番送客が多いのですが(今年も一応、一番多かった)、
ナガ族の新年祭は完璧に市場が変わってきた感じがします。

どんな市場からどんな市場に変わっていっているのか?

それは次回に。

初めてのパリ営業(2)

初めてパリに営業に行ったのが2000年の初夏だったかな?
因みにヨーロッパに行ったのもこの時が初めてでした。

ヤンゴンにある当時の日系ホテルの総支配人がパリのホテルから移って来られた方で、太郎をみて心配されたようで在パリのお知り合いを紹介して頂きました。

パリのホテルも知り合いの業界紙の人の紹介で在パリのホテル予約業務をしている方を紹介して頂き、皆の助けのお陰でだんだん格好が付いて来た感じがしてました。

バンコクから乗ったタイ国際航空も何故か、ビジネスクラスにアップグレード、
「ラッキー、今回はこりゃ、ついてるな」と1人、喜んでました。
ここでツキを使い果たしてるとも知らずに。

パリに着いて空港から凱旋門まで空港のシャトルバスで行き歩いて5分ほどの安宿へ。
当時で1泊US$50相当だった気がします。

そしてアポを取っていた唯一の旅行会社「La Meson de Indochina」に行こうとして
地下鉄に乗るとこれが全く行き先が分からない。

ホームに次の駅の名前が書いていないので無茶苦茶不安になり、不安になった通り
何度か乗り継ぎを間違い、フランス人のお婆さんに地下鉄の乗り継ぎを尋ねられ(太郎が
フランス人に見えたのでしょうか?) 、おまけに理由は分かりませんが(アナウンスはありましたが何を行ってるのか全く分からず)列車は途中で止まるし。

何だかんだで最寄の駅に付いたのがアポの時刻の15分前。
そこから「La Meson de Indochina」の事務所に行くまで45分もかかってしまい遅刻をして
しまいました。

通りの名前だけで事務所の場所がわからなかったんですね。
何のことはない帰りは駅から10分ほどの場所でした。

「La Meson de Indochina」の事務所が見つからなかった1つの理由がその外観でした。
何でも元は映画館だったとの事でかなり古くて重厚な建物で、とても旅行会社には見えなかった。 
中に入るとまるで博物館のように茶器や民芸品がガラスのショーケースに陳列されており
旅行会社でよく見るようなパンフレットが見当たらない。

太郎は、その時点で「多分、事務所はこの建物の2階か、3階なんだろう」と思ってましたが
近くにいたスタッフが用件を聞くのでアポを取っていた人の名前を伝えて会いました。

その博物館みたいな建物の一番奥にその人はいました。

ナガの新年祭のスライドを見せて説明をして、あとで日程表と料金を送ると言うことで
合意し、ナガの写真をパンフレットに載せるのでスライドは置いていくことに。

最初のアポは、ジャブ程度でしたが何となく高揚した気分で事務所のドアを開けたのを覚えています。
それから紹介された在パリの日本人の事務所に行き挨拶をしてパリの業界の話を伺っていると、その方の本棚にパリの地図のようなものが!

それは住所を索引すると最寄の地下鉄の駅と駅からの行き方がわかる優れものでした。
その本を貸して貰い、それから飛び込みとインターネットで検索して頂いた旅行会社を
全て訪ねました。

その数、44社。

結果、担当者に1人も会えませんでした。
受付で断られるのがほとんど。

図書館みたいな事務所にスタッフが1人ずつ担当地域の本に囲まれてるような会社もあり
本当に驚きショックを受けました。
これが旅行会社なのかよ!!
本当にこう言う連中と仕事をしたいなと思ったんですが。

本当に担当者に会えない、アポが取れない。
紹介者がないと本当にアポが取れませんでした。

日本での飛び込み営業の経験がほとんど役に立てたなかった。

無理をして事務所に入り太郎が撮った写真を見せようとして怒鳴りつけられたことも
ありました。
電話でアポを取ろうとしても中々、取れないし。
せっかく取れても地下鉄の乗り方を間違えて遅刻をしたりして悲しかったです。

溜まるのは受付で貰った会社の名刺だけ。 マネージャーの名刺はゼロでした。
「La Meson de Indochina」で会った人は役員でしたが。

本社の上司に無理を言ってパリにまで営業に来させて貰ってこれかよ。
「どうしよう、やばいよな」と落ち込み始めてました。

頑張ってと応援してくれた部下、スタッフにも顔向けできません。
このまま帰ったら何も報告出来る事はない。

でも、それと同じくらい訪ねた旅行会社の中の数社、図書館の館員のようなスタッフ、ああいう旅行会社と取引をしたいと言う思いが強くなっていました。

話もロクにしてないのにあれが太郎のやりたがってるマーケットだと決め付けてました。
ヨーロッパになら、地域の専門知識を持ったスタッフが営業し手配をし顧客もそう言う知識を持って旅行をする、そう言うマーケットがあると思い来て、あったんだと言う気持ちもありましたが。 そこに入れない自分が悔しかったです。

欲しいマーケットが目の前にあるの食い込めない。
営業マンとしては許せないですよね

「初めてのパリ営業」

太郎の会社の80%は欧米からのお客様です。

ドイツ、フランス、イギリス、スペイン、アメリカ、南アフリカ、オーストラリア、ロシアと様々な国からお客様がいらっしゃいます。

何て書くと太郎はドイツ語やフランス語、英語の話せる語学の達人かと思われる方も居るかも知れませんが、残念ながら違います。

太郎が話せるのはかなりなまったブロークンな英語のみです。

相手にこちらの言ってる事を分からせることは出来るので何とか仕事になってますがお客様に不便をかけているのは間違いありません。

じゃ、何でパリに営業に行ったのか? 理由はヤンゴン在留の某フランス人の紹介であるフランスの旅行会社(以下、AGT)を紹介されたからです。 

太郎は1999年に友人の二村とチン州のビクトリア山に、2000年にナガ族の新年祭に行ってこれは絶対外国人向けだと確信してました。

当時は日本のランド屋に在職しミャンマーの支店の所長だったので本社の社長及び専務にヨーロッパ市場の開拓を訴えて何とかパリ出張の許可を得た訳です。

バンコクからパリに向かうタイ国際航空の中で頭の中では「カンボジアのOOさんはフランス市場の開拓に成功してビルを建てたんだよな」とか「フランスの雑誌やTVの取材を受けたらどうしようか?」、「飯は上手いのかな?」等と余裕をかましていました。

知り合いの日本人の紹介でパリ在住の日本人夫婦やパリの日系ホテルの営業事務所等も紹介してもらい自信満々でした。

「見てろよ」と。
意気軒昂どころか、エベレストくらいの高さまで舞い上がってましたね。

スーツケースの中には空手衣も1着、入ってました。
時間が空いたら地元の道場でも見て見ようかな?と。

結果はボロボロでした。 試合ならKO負け、一本負けです。

何で、そんな結果になったのか? そして何で太郎はそんなに余裕をかましていたのか?

それは次回の「初めてのパリ営業」(2)で。

自己紹介

初めまして

ミャンマーで現地手配会社を営んでいる太郎と申します。
現地手配会社って何だと思われる方も多いと思います。
簡単に言うと外国の旅行会社から依頼を受けて現地のホテル、国内線、車、ガイド、食事、
アポ取りなどをする会社です。 

例えば日本のJTBがミャンマーにお客を送る際には契約している現地手配会社に手配を依頼するわけで自分でミャンマーにファクスやメールを送ってホテルや国内線の予約をするわけではありません。 日本の場合は大手現地旅行会社はミャンマーに自社の現地旅行会社を持ち
日本国内に営業所を数箇所持ち、営業マンが旅行会社に毎日、営業に行くというのが普通です。 もちろん、ミャンマーだけが手配地域と言う会社は稀で普通はベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、マレーシア等のインドシナ及び東南アジア各国の手配を受けています。

旅行業界の端くれで職種はランドオペレーターとかツアーオペレーターとか言いますが略してランドとかツアオペとか呼ばれてます。

太郎はインドシナア専門の日本の現地手配会社に9年間勤めて4年前に独立しました。
お客様は80%がヨーロッパのお客様で日本人のお客様は20%ほどです。

太郎が手配する地域はヤンゴン、バガン、マンダレー、インレ湖等のミャンマー通常の観光地以外の場所が主になります。
どこなんだと言う声が聞こえてきそうですね。

それはインド国境の4,000m級の雪山群、東南アジアの最高峰カカボラジ山のベースキャンプ、かつて日本軍がインパールへ進んだナガ丘陵、チン丘陵のヴィクトリア山(3,050m)。 そしてビクトリア山麓に住む顔面刺青で有名なムン・チン族、顔面に蜘蛛の巣模様の刺青を入れていることで有名なバングラデッシュ国境のレイツーチン族、中国国境等の山岳地域や少数民族の居る場所が手配地域になります。

当然、遠い場所が多く旅行日程も長くなりますので日本のお客様より旅行日程の長い欧米のお客様が主になります。

スタッフは15人いますがビルマ族は3人であとは全て少数民族です。
別に好き好んで少数民族を選んだ訳ではないのですが自然にそうなってました。
何故かな?

太郎のお客様には旅行会社を通さないで直接旅行手配を依頼してくるお客様もおります。
こう言う方々はかなり濃い方が多いです。
ユニークと言得ると思います。

太郎の欧米の旅行会社とのやり取りを通して見た欧米人や仕事を通して見たミャンマー、仕事上でのドタバタ、濃い人々達とのやり取りをメルマガの代わりにブログに書いていきます。

日本の旅行業界で深夜まで手配に追われ残業も出ないで、それでも旅行の仕事に携わりたいと言う気持ちだけで頑張ってる人達に見て貰えて、日本の旅行会社だけが旅行業界じゃないと思ってくれればこんなに嬉しいことはありません。

それに日本にだって少ないけれどまともな旅行会社はありますよ。
数は少ないけどまともなランドもね。

では、次回は「始めてのパリ営業」です。

最後にこのブログを始める事が出来たのは太郎のコンピューターの師匠である後藤修身氏のおかげです。 後藤さん、ありがとうございました。

ランド屋太郎

では、次回から