ナガの赤ひげ

ナガの赤ひげ(15)

昔はこんな大きなポールが作れたんだな〜

今回は赤ヒゲ先生に聞いたナガ丘陵でのナガ族の話です

赤ヒゲ先生は「俺くらい、ナガ丘陵を歩いてる人間はいない!!」と
豪語されてますが本当にその通りです。

南部のトンクーナガ族のパンサ、ソムラ、サラマティ山、中部のレノン・ナガ族のラヘーと
そこから奥のアンボ、ソロ等、北部のレドロード、シンブンヤン、ナンユン、パンサオ峠

全部歩いて行かれてます

多分、先生に次いでナガ丘陵を歩いてるのが
太郎の右腕、ルーインだと思います

そんな赤ヒゲ先生の話すナガ族

今とは全然違いますね、ホント!!
シュンティが聞いたら走って逃げ出しそうな話も多いです(笑)

赤ヒゲ先生曰く

「面白いのは中部だけだ、北部も南部ももう、キリスト教化されて面白くない。
 特に南部は戦前からもうキリスト教が入っていたからな・・・       」

先生、面白くないって・・・・・
本当にローマン・カトリックの学校を出てるんですよね

赤ヒゲ先生が言われるには

シンティ(チンドウィン川上流の街カムティの対岸の街):ナガランドの唇
ラヘー                       :ナガランドの喉
ラヘより先                     :ナガランドの中心

だそうです

言語にしても公式には違いますが
実際にはラヘーの言葉が主要言語として通じると言われてました

先生が訪れたラヘーの先の○○○村

この村はインドとの国境の村で村人も殆ど裸同様

ここのソバ(土候)は100人の妻がいて
彼の住んでいるロングハウスには窓が一切なく

土候が外を歩く際に、許しを得ずに頭を上げると
首を刈られ、土候は体中にベルトをして鈴を付けていたそうです

まさかSM?

この土候の話は1962年から1970年までは
間違いなくこう言う生活をしていたそうです

いつでも、どこでもお母さんは子供に優しいですね!!

この話を聞いて太郎は思い出した男がいます

2002年のラヘーでのナガ族の新年祭に来ていた一人のナガ族の酋長

ラヘーから3泊4日のインド国境の村から来ていると話してましたが
太郎の記憶に残ってるのは彼が
  「政府? 何だそりゃ、俺はそんなモンに会った事はないぞ。
   俺が俺の6つの村から税金を取ってるんだ        」

と豪語してたことです。

その時は、ただのいい加減な親父と思ってましたが

もしかすると本当だったのかも・・・・・
今もそんな村があるんか・・・・・

あの時に赤ヒゲ先生の存在を知っていたら
いろいろ尋ねられたのにな〜

赤ヒゲ先生に太郎が1つ、尋ねたことがあります

太郎 「ミャンマーの政治家でナガで有名な人なんかいませんよね?」

赤ヒゲ「おるぞ、ウ・ヌーだ」

太郎 「エッ、な、何でウ・ヌーなんか有名なんですか?」

さて、ウ・ヌーとは誰なんでしょう?

そこは次回に 

(さらに…)

ナガの赤ひげ(14)

今日は赤ヒゲ先生、危機一髪の続きです

娘さんの子供時代の写真

赤ヒゲ先生がミャンマーのナガランドの北部、レドロード周辺のナガ族の村を診療巡回
していた時の話です

レドロードはカチン州に属してます。

このレドロードの真ん中辺りにフーコン峡谷と呼ばれる場所があり
現在は世界最大の野生虎の保護区になっており、かつて第2次世界大戦中は
数多くの日本兵がここで命を失くされている場所です

太郎も蝶を追いかけてインド国境のパンサ峠に行かれたSさんもNHK特集「ビルマロード」の撮影隊、ナショナルジオグラフィックの取材もフーコン峡谷を走るビルマロードを
車で走ってます。

でも、道から外れてフーコン峡谷の奥には入ってません
と言うか、普通は許可が下りません

フーコン峡谷の奥には「森の回廊」の作者、吉田敏浩、
「西南シルクロードは密林に消える」の作者・高野秀行の
二人が徒歩で行ってます

拡大してみてください
HUKAWANG VALLEY(フーコン峡谷)と言う字が読めますか?

ここら辺はインドでハイミーナガ族と呼ばれるナガ族が住んでいます

今でもこんなに大きなポールがある村があるのかな?
あそこならあるかな・・・・・

こんなナガ族の人に会いたいな〜

赤ヒゲ先生、このフーコン峡谷を巡回中に
反政府活動をしている人達に誘拐されました。

何故、赤ヒゲ先生を誘拐したのかな?

お金?

ないよな、先生の懐には・・・・

赤ヒゲ先生は誘拐されフーコン峡谷の森の中にある小屋に閉じ込められたそうですが

慌てず、逆に誘拐した人達に諭したそうです

赤ヒゲ   「お前たち、早く俺を解放したほうがいいよ・・・・・」
反政府屋さん「うるさい!! お前、自分がどこにいるのか、わかっているのか?」

AK-47(機関銃)の中国製コピーを持ってる反政府屋さん、なかなか強気です

この時、小屋には5名の反政府屋さんがいたそうです

このブランケットが欲しいな・・・・

次の日になると

なにやら聞こえて来たそうです

赤ヒゲ先生は太郎に乞う話してくれてます

赤ヒゲ「ナガの連中がな、何十にも小屋を取り囲んで槍をかざして気勢をあげるんだ!!
    ウッハッ、ウッハッてな                      」

太郎 「(ウッハッじゃないでしょう、先生)・・・・・             」

反政府屋さんは小屋を囲まれて、緊張した風を見せながらも
まだ強気です

反政府屋さん「俺達には銃がある」

赤ヒゲ先生 「何発の弾丸がある?  お前達、首を刈られるぞ!!」
 
先生、ナイスな説得のお言葉

そんなやり取りの最中にもナガ族の気勢はどんどん激しくなり

小屋の外にでると
槍を突ける距離にまでナガ族が小屋を囲んでいて

流石に、反政府屋さん達は赤ヒゲ先生を解放したそうです。

太郎的にはこの時の反政府屋さんに話を聞いてみたいですね

怖かったですか? (笑)

     

(さらに…)

ナガの赤ひげ(13)

赤ひげ先生に伺ったナガ族の風習は
太郎が今まで本で読んだ事がないものばかりでした

いつか、そういう話も載せますね

今回は赤ヒゲ先生、危機一髪!!のお話

チンドウィン川で座礁、沈没した赤ヒゲ先生が乗っていた船

赤ヒゲ先生が7年間、住まれていたチンドウィン川上流の街カムティは船でモニワまで
2泊3日かけて下るのが当時は一般的でした (*乾期と雨季でかかる日数が異なります)

今でも50名以上が乗ったボートがひっくり返り、乗客が多数、亡くなると言う惨事が
雨季には起きる事もあります

赤ヒゲ先生がモニワからカムティに戻る際に乗船していた船も沈没したそうです

徐々に傾いて沈んでいく赤ヒゲ先生が乗っていた船

赤ヒゲ先生曰く、
「大切な薬を運んでいたんで運び出したかったけど無理だった、船員も何人か死んだ」

写真を見てると結構、沈没するまでには時間があたようですが
何故、船員が亡くなったのかな?

まさか、泳げない?
泳げても、雨季のチンドウィン川なら余り意味はないか・・・・

でも、写真を見るとそんなに流れも早そうじゃないけどな・・・・・
波も立ってないし

第一、赤ヒゲ先生が記念写真を撮ってる余裕があるんだから

でも、写真を撮ってる場合じゃない気もしますよ、先生!!

乗っていた船の沈没もカムティで待ってる家族に
赤ヒゲ先生は面白おかしく話したんだろうな・・・

「船ってな、ゆっくり沈んでいくんだ、知ってるか!! 」とか言いいながら

でも、そんな余裕のある時ばかりじゃありませんでした

その話は次回に!!

(さらに…)

ナガの赤ひげ(12)

この「ナガの赤ひげ」を始めたのは
40数年前のミャンマーのナガ族の写真を
紹介できたらいいな〜、こんな凄い場所に行ってた人がいたと紹介できたらいいなと
思って始めたんですが・・・・

今は何故、赤ひげ先生はそんなところに行ったのか?

何故、奥さんを始めとする家族も一緒に付いて行ったのか、文句も言わずに
ナガの山から帰ってくるであろう赤ひげ先生を待てたのか?

こちらは赤ひげ先生が卒業されたモールメインにあるローマ・カトリックの学校
確かに白人の方がいますね 教師なんかな?

赤ひげ先生は因みに仏教徒です

キリスト教の博愛の精神と言うのはどんなモンなんだろう?
赤ひげ先生の行動の根っこにあるのは「博愛の精神」なのか?

じゃ、博愛の精神ってなんだ?

同じく卒業したモールメインのローマ・カトリックの学校での写真
インド系の方はシーク教徒ですかね?

シーク教徒の方はカチン州のミッチィーナでもよく見かけますね

船医時代の赤ひげ先生

赤ひげ先生は始めから身を投げ出して診療活動に当たってた訳ではないそうです

この船医時代は乗っていた船がシンガポールに着くと
ダンスホール(古くて、太郎もどんなもんか、わかりません?)で踊りまくっていたそうです

明日は出航という日に、ダンスホールの支配人が持ってきた請求書は
US$7,700と言う大金!!

先生は慌てず、船に戻って金を取ってこようとしたそうです

そんな大金、船に戻ってもあるのかな?

赤ひげ先生の御両親は赤ひげ先生に言わせると
「嫌になるほどの金持ち」だそうです

真ん中が赤ひげ先生
左端がMV Aung Zay Ya と言う船で機関士をされていた大塚 シゲノリ さん

そんな荒れた生活をしていた赤ひげ先生を
日本人の友人、大塚シゲノリさんが変えました

支配人から請求書を預かると大塚さんはタクシーで船に行こうとする赤ひげ先生を
日綿(※)のシンガポール支店に向かわせます

※1892年 日本綿花株式会社として発足、1943年 日綿実業と商号を変更、
 1982年 ニチメンに商号を変更、2004年 1月 日商岩井と合併し、双日株式会
 社として現在に至る 

そして、アポも無しで支店長の部屋に押し入り
怪訝そうな支店長に胸から吊るしてるロケットの中の写真を見せて

「一万ドル、寄こせ!!」と言ったそうです

支店長は写真を見てから

「1万ドルで宜しいんですか?」と言ったとか・・・・

大塚さんは赤ひげ先生にお金を渡した後、

大塚さん「俺は放蕩息子で一族からも相手にされてない人間だ。
     今でも、こんなな情けないことをしているがお前はこんな人間になるな
     お前は医者だろう!!                      」

赤ひげ  「・・・・・・」

大塚さんの御両親は日綿のエライさんだったんですかね?

この大塚さんの話の所為か、どうかは知りませんが

赤ひげ先生は乗船していた船の船長の紹介で今の奥様と付き合い始め
1年後、奥様のお母様に直接「結婚させてください」と申し出たそうです

73歳の現在も手術をこなしている赤ひげ先生

47年前の大塚さんの赤ひげ先生への意見がなかったら
ナガの奥地に診療に出かけ、73歳の今でも手術をしている赤ひげ先生の姿は
なかったのかもしれません

赤ひげ先生は今でも、この大塚さんのことを恩人と仰られてます

何か、浅田次郎や安部譲治の小説に出てきそうな話ですね

(さらに…)

ナガの赤ひげ((11)

謹賀新年

あけましておめでとうございます
旧年中は「ランド屋太郎」を御拝読頂き誠にありがとうございます
本年も宜しく御願い申し上げます

平成十九年 元旦
ランド屋太郎

大晦日は辺境屋の大先輩とサムライ寿司と寿司桶、刺身盛り合わせ、伊勢海老の味噌汁など
腹いっぱい食べ来年の抱負、ナガの赤ひげ先生の話、少数民族の話、家族の話などをして過ごしました。

先輩が帰られた後は同じアパートに宿泊しに来ている太郎がミャンマーに来た頃、お世話になった先輩がいる部屋に行き、紅白を見て過ごし、元旦の朝はその先輩の部屋でしめ鯖、鰻の蒲焼、寿司(サムライ),春巻き等の豪華朝食

もう食べれません!!

いきなりバンコクで爆弾騒ぎも起きるはフセインは死刑執行されるし
今年を暗示してるような気がしましたね

まあ、太郎は空手が出来て本が読めてたまに山に行けて寿司が喰えれば幸せなんで(笑)

あ、あといい出会いがあればいいですね・・・・
そういう意味で昨年は大当たりでした!!

赤ひげ先生、ミャンマーの辺境屋の大先輩と会えたのは非常に幸運でした

辺境屋の先輩との旅で太郎が見た風景は一生の宝物です

今回は太郎が赤ひげ先生のお宅を訪ねた際の模様を載せますね

昼食の風景、何か赤ひげ先生、寒そうですね?

太郎だけが頂いたアボガドのデザート、アボガドも自家栽培、甘くて美味しかった!!

太郎が頂いた高菜のような野菜

通訳代わりの娘さんと一緒に奥様にインタビュー

気のせいか少し嬉しそうな奥様

ヤンゴン経済大学を3年前に卒業して今では赤ひげ先生のNo.1アシスタントの末娘さん
可愛いですね〜

末娘さんにヤンゴンの生活が懐かしくなりませんか?と尋ねると
末娘 「ここの生活もヤンゴンも、そんなに変わらないから・・・・・」

う〜ん、太郎はそうは思わないけどな・・・・

でも末娘さんも、なんのてらいもなく赤ひげ先生に付いて行ってますね

入院病棟

赤ひげ先生を訪ねた方が仰ってましたたが

「赤ひげ先生は青年がそのまま大人になったような人だ。
 普通は学生が社会人になり家庭を持つと皆、いろんなものを失くして
 普通になっていくの に赤ひげ先生は、青年がそのまま大人になっている。
 それはあの奥さんが偉いんだろうな 」

太郎もそう思います

何が損で得だとか考えないのかもしれないですね
いや、でも、そんな人いるのかな?

うーん、今度、お会いしたらもっといろんな事を尋ねてみたいな
迷惑かもしれないけど・・・(苦笑)

入院病棟とトイレ

赤ひげ先生の診療への態度と言うのはどこから来ているのでしょう?
仏教? 教育を受けたローマ・カトリック?

先生御自身もはっきりとは仰らないですが
確実に先生が持っている信念は

「人間は皆、同じなんだ!!」と言われてました

そう思わなきゃ、言葉も通じない村に刈られたばかりの首が並べられてるような
何日も歩いて行って患者の面倒を見たりしませんよね

観光気分の方にはなかなか分りにくい部分ですが
ビルマ族の特異な文化の1つに嫉妬・妬みがあります

これはどこでもありますが
日本人的に見るとかなり度を越してる気がします

赤ひげ先生はこれに随分、悩まされたようですが
それでもどこでもやることをやって自分のモラルの高さ、志の高さを
足を引っ張った連中に見せ付けられたんじゃないでしょうか?

太郎にもミャンマーで仕事をするなら気を付けろと3つの忠告をしてくれました

けど先生、遅かったです!!
太郎もやられてます(苦笑)

志の高さを保って仕事を続けたいですね、赤ひげ先生を見習って!!
俺も大人になったな・・・感心、感心!!

息子さんの奥さんが営まれてるセーター屋さん

息子さんの奥様、この方がすべて食事を手配してくれました
美味しかったです、本当にありがとうございました!!

(さらに…)

ナガの赤ひげ(10)

若かりし頃の赤ひげ先生、何か気合の入ったいい顔してます
左側の人達には悪いけど、全然違う!!

水没しているカムティの家々

赤ひげ先生がカムティに赴任されていた頃の話です

先生が診療所で診察をしていると近所の方が走ってきたそうです

近所の方 「先生、先生の家が水没しそうだから早く帰った方が良いですよ!!」

赤ひげ先生「エッ、水没? 雨も降ってないよ、今は・・・・
      患者がいるから、診察が一息ついたら見に行きますよ」

近所の方はどこかに走っていかれました

その頃、先生のお宅では

徐々に水位を上げてくるチンドウィン川の水が床を越え始め
奥様は一人で二人の子供を水が来ないであろう高台に運びます

それから貴重品を持ち出そうとしましたが
水位が上がるのが早く、動きが取れなくなってしまいました

カムティの街

そこにカムティのソバ(土候)が心配して様子を見に送ったボートが来て
奥様をボートに乗せ貴重品も運べるだけ運んで子供達も皆、
ソバの邸宅に避難したそうです

赤ひげ先生は自宅に来て見れば
既に水没している自宅を見て、記念写真を撮ってます

下の写真がそうです
右手に見えるのが先生のお宅です

先生、写真を撮ってる場合じゃないような気がしますが・・・・・

先生が近所の人に家族の安否を尋ねて、ソバの邸宅に行き無事、事なきを得たそうです

その時の話を奥様に尋ねると
奥様、ただ笑って「皆が助けてくれたから」と仰るだけです

う〜ん、奥様、本当に赤ひげ先生に文句を言わなかったのかな?

因みに、太郎がその時の話を赤ひげ先生に尋ねてると
先生、嬉しそうに、写真を指差して

先生「太郎、これだ、これが俺の家だったんだ、水没してるだろう、ハ、ハ、ハ」
太郎 「ハ、ハ、ハって先生・・・・                   」

現在の赤ひげ先生と奥様
何も言わなくてもこの写真を見れば十分ですね!!!

当時のチンドウィン川を運行していた船、後部に今の船には見られない水車のようなものが
見えますね!! これって外輪船って言うのかな? 違うかな?

先生は何か危機に陥ったときに記念写真を撮る癖があるようです

その話は次回に

(さらに…)